ちゅうちゅまんげのぼうめいて

 ちゅうちゅまんげのぼうめいて 

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著者 大石陽次(おおいし・ようじ)  

  • 2009年12月20日発売
  • A5判、上製、127ページ
  • 定価 1,900円+税
  • ジャンル[詩集]
  • ISBNコード 978-4-86228-037-4

ふるさとの
いまはなき日本の原郷を生きた
遠い日の
ばあちゃんのうた


全19編福岡県・筑後弁の詩集である。戦場で気が狂った男、火事で飼い馬やペットのカラスと共に死んだ男など、故郷の往還(道)を行き来した彼らの姿を、小学生の時に死に別れた祖母が語る“口寄せ“形式の詩群が出色。太字の「戦後」が背景にくっきり見える。時代性、物語性、(方言の)親和性が極上にブレンドされ、銘酒水のごときのど越しである。なかほどにある「ちゅうちゅまんげ」(蝶)という詩はひらがなの短詩だが、人の世のはかなさが柔らかな韻律で響く。・・・生と死の境を蝶のように自在に行き来する世界は、とりわけ昭和20~30年代に田舎の少年だった男たちには泣けてくる。
                     ――「西日本新聞」2010年1月10日


「色のひとつ足らぬ虹」を見た
 ―吉田 司(大宅ノンフィクション賞作家) 

 憑依(ひょうい)文学なんてジャンルがあるかどうか知らないが、人間が天上や地上の聖なるもの・邪悪なるものに乗り移られる(取(と)り憑(つか)かれる)と<政治>が生まれ、人間の方が何物かに乗り移ると<文学>が生まれるってのが、わたしのおおまかな理解だ。 
 前者で有名なのは、古代ギリシャの神殿・デルフォイのアポロの神託で、神がかりとなった巫女(シヤーマン)の言葉は王侯貴族・国の運命まで左右する。日本の天皇もその類(たぐい)らしい。「天の魂が、その支配者に入って天子になる」と民俗学の江上波夫は語っている。
  「フェルトの布をみなが持ってそれに(天皇を)寝かせて、みなで揺さぶるんですよ。そうすると(天皇
  が)失神しちゃうんです。失神している間に(天の霊が)入るんです。目が覚めたらもう入っています」
                                       (『騎馬民族は来た!? 来ない!?』)
 天皇(天子)とは乗り移られることを待っている依代(よりしろ)(巫女的体質、すなわち大いなる虚無)だということがよくわかる話だ。だから天子のおこなう<政(まつりごと)>は天の意志であり、誰も逆らえない・・・ということになる。 
 これに対し後者の乗り移る<文学>の型は、わたしの青春時代の頃まではその姿をよく見かけた。たとえば石牟礼道子の『苦海浄土』などは書き手が水俣病患者に乗り移って書いた"憑依の名作"といってよい。
 要するに、むかしは政(まつりごと)であれ文学であれ、そこで表現される言葉にはなにかしら魔法の力が宿っていた。しかし、メール・ブログ時代の今はもうその憑依の世界の言葉は絶滅した・・・ってお話だ。 
 そうわたしは信じこんでいた、つい最近まで。ところがだ、この大石陽次の詩集を読んでごらん。<魔法>が復活している!
 この詩集の「あとがき」によれば、作者は昨年、大腸を破裂させて「一週間、生死の境をさまよった」。一命をとりとめ退院し、詩を書こうとすると、机のわきに彼の祖母であるフイばあちゃんがさまよい出てきて、「こげなこつのあったなあ」とむかし語りを勝手に始め「ワープロのキーを押したりする」。そのフイばあちゃんの語りをまとめたら、一冊の詩集になった。だから「この詩集は、祖母・大石フイのものである」と記している。
 でもね、明治・大正育ちで文字を読んだり書いたりできない(と作者は書いている)ばあちゃんが、突然ワープロ打てるわけがない(笑)。これは明らかに大石がばあちゃんの死霊に乗り移って書かれたものだ。そのため詩は、憑依の文体でできている。生者が死霊に乗り移る魔法が可能になったのは、彼が「一週間」黄泉(よみ)の国に入り込んであの世への越境者(死者)となったからだ。フイばあちゃんは、彼が乗り移ってあの世から連れ出してきたのだろう。
 だから、この詩集には、いまではもう地上から消え去った日本の原郷=前近代的なムラ(村落共同体)がどんなに深い相互扶助の心根をもっていたか、国家が彼らに課した過酷な近・現代の戦争にどんな姿で耐えぬいたか・・・などなど、ムラの庶民・民衆の不思議譚や意外譚がいくつもいくつも、ナマナマしく、ユーモラスに、凛(りん)として、復元=創造されているのである。
 そしてこの詩集は、南北九州の近代資本(チッソ水俣・三井三池炭鉱)に亡ぼされていく前近代的な民衆情念の抵抗史を描き続けた「サークル村」の谷川雁や石牟礼道子らと同じような体臭をもつ言葉の豊穣さに恵まれるのだ。 比べてみようか、石牟礼の『苦海浄土』と。
 まず大石の「藤吉が家の火事」という詩。材木の馬車引きの藤吉が、カラスと馬とともに孤独に暮らし、働いていて、火事で三人(匹、羽)とも突然死んでいくというはなしだ。
  「藤吉が家の目覚まし時計はカラスのカン助たい。 毎朝四時にはオキロ、オキロ!ち叫んで、藤吉
 の頭ばくちばしで小突いて起こしよった。」
  「ソロソロイコカイノー、イコカイノー、ち、騒ぐカン助の足ば紐で馬の鞍に繋ぎ、 さてそろそろ行こかい
 のー、ち、今度は藤吉が独りごつば言い、往還に出る。」 
馬車引き仕事が終わると、藤吉はムラに一軒しかない倉吉酒店に通うのさ。
「あきるるごつ一年中毎日同じこつの繰り返しで、
  藤吉はなーんもしゃべらんで、酒ばすすり、缶詰の肴ば食い、塩ばなめて過ごす。」 
 そしてある日、ムラのお寺で、藤吉と馬のタケとカラスのカン助の葬式が出されることになる・・・・・。
 石牟礼の『苦海浄土』は、水俣奇病で死んだある老人の人生を凝視するはなしだ。
  「仙助老人が、毎日三合の焼酎を買いに、線路をのぼった道の上の店にゆく・・・毎日きっかりと、午 後四時半に彼が出てゆくので、その姿は・・・夕日を散らした海を背にしている茅の葉の中の風景と化 してしまい・・・」
  「――海ばたにおるもんが、漁師が、・・・わが獲ったぞんぶんの魚で一日三合の焼酎を毎日のむ。
 人間栄華はいろいろあるが、漁師の栄華は、こるがほかにはあるめえが・・・。」
 どうだろう、藤吉の無口な心の内側を、わたしたちは仙助老人の語りから知ることになるのではないか。そう、それは、大石も石牟礼も、<憑依の文学>に依っているからだ。
 わたしは大石陽次のこの詩集のなかに、久しぶりに、本当に久しぶりに、「色のひとつ足らぬ虹」(谷川雁)という人生のアルファとオメガを見た気がするのである。

回帰する自然の先へ
 ―橋本克彦(大宅ノンフィクション賞作家) 

  大石さんの今度の詩集『ちゅうちゅうまんげのぼうめいて』について何かをいうことが、ひどく迂遠な行為のように感じて困っている。これはもう読めばわかりますよ、と小声でいって、にこにこ笑っていればいいのだ。
 その作者の真実や誠実さや極めて洗練された作為を、ごく自然に受けとったら、いいなあ、とだけ感想を伝えればすむ。すてきに全部ありますなあ、大石さん、とでもいえばいいのだ。だが、それではなんだかわからないからもう少し書こう。
 人間のやる表現行為がときどき、その表現者の立ち姿にぴったり重なって見えることがある。こんどの作品と作者大石さんとの重なり具合が私にはそのように見える。
 もちろん作品とは作為された行為の結果生まれるのだから、わざわざその作品の自然なたたずまいについて「自然である」などと馬鹿なことをいうつもりはない。自然に見えるようにした表現あった、ということである。 
 自然に、というのは難しい境地で、それがこんどの詩作に出ているとしたら、きっとココロの深みを訪れて、何かしら精神の根源に向き合って帰って来た表現行為だ、と見るべきである。
実は、そうした「精神ののぞき方」にこそ思想性があるのだ。その思想性は、隠れているかのようにある。隠すつもりの作為があったら、ははあん、隠したな、というように読者にはわかるけれども、隠すつもりがない作者の思想性が、言葉に添うようにきちんとあって、しかもひっそりしていて、作者の立ち姿にも添うように、ある、となると話は別だ。
 そんなことが起きているのなら、その表現行為はかなりのもの。ちょっとやそっとでは獲得できないかなりの境地を示しているはずである。こんどの詩はそういう詩なのだ。俗っぽく言う能力しかないから俗っぽくいうけれど、ひとつの人生にそうはない作品群だと断言しておく。
 大好きなフレーズがこれほどちりばめられた詩集を私は経験していない。愛唱したい詩なんてのは、戦後の現代詩ではほとんど知らないから、こんどの詩ではおどろいた。『キャラメル』の最後のところを夜眠る前に暗唱している。
 うまかもんでん、たのしかこつでん、そんときそんときで味あわんで、けちけちあとに残しとくと、しらんうちに失うなしてしまうもんたい。 


著作者について

大石陽次(おおいし・ようじ)

1944年、中国山西省陽泉に生まれる。
1945年、福岡県八女郡北川内村に引き揚げ。
1963年、東京教育大学文学部仏文科に入学。
1967年、同大学卒業、日本放送出版協会に入社。テキスト、書籍の編集に携わる。
2007年、同社、退職。現在、無職。
2004年3月、思潮社より詩集「空の器」刊行。
2007年5月、青灯社より詩集「あいうえお……ん」刊行。