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Seitosha Publishing

2015年3月のエントリー 一覧

副題 軍隊体験者の反省とこれから
20180802141536_00001.jpg著者:石田 雄
ISBN978-4-86228-078-7 C0031
定価 1,600円+税 244ページ
ジャンル[社会・政治]
発売日 2015年3月24日


紹介
ふたたび戦争に向かうのか?
92歳、戦後リベラル派の旗手による渾身の訴え

・戦前と比較して今日の政治・社会状況の似ている面、違う面を確かめ、その危険性を見極める。
・戦前、戦争にみちびいた言論の制限と沈黙のらせん、閉鎖的同調社会の成立と排外的国家主義。
 その変化を生みだす素地を、今日の愛国心教育や特定秘密保護法、集団的自衛権容認等に見定め、それらの危険性や今後の展望を体験的に語る。
・戦前、文学・左翼少年だった著者が軍国青年に変身していった経緯を反省し、今日の時代状況を憂える。

 


目次
はじめに
第一章 愛国少年へのゆるやかな歩み
第二章 戦争に向かう空気の危うさ――今日の視点からみる軍国化の要因
第三章 軍国青年の誕生と軍隊体験
第四章 戦後の「短い春」から集団的自衛権容認まで――戦後研究者としての反省
第五章 また戦争に向かうのか――戦前と今日の状況の共通点と違う点
結章  過去から学ぶ教訓と将来への展望

 



著者プロフィール
石田 雄 (いしだ・たけし)
東京大学名誉教授。1923年生まれ。「学徒出陣」から復員後、丸山眞男ゼミに参加し、1949年東京大学法学部卒業。
東京大学社会科学研究所教授、同所長、千葉大学教授、八千代国際大学教授を歴任。
その間、ハーバード大学、エル・コレヒオ・デ・メヒコ(メキシコ)、オックスフォード大学、ダル・エス・サラーム大学(タンザニア)、ベルリン自由大学などで研究・教育にあたる。
[著書]『明治政治思想史研究』(未来社)『現代組織論』『平和の政治学』(以上、岩波書店)『日本の政治文化』『日本の社会科学』『社会科学再考』『日本の政治と言葉』(上下、毎日出版文化賞受賞、以上、東京大学出版会)、『丸山眞男との対話』(みすず書房)『安保と原発』(唯学書房)ほか

 

はじめに
「あぶない! これではまた〈戦前〉になってしまうのではないか」
こうした危機感がこの数年の間に、だんだん強くなってきました。第一次安倍内閣で教育基本法が改正され、愛国心教育が始められると聞き、八〇年以上前、私が小学生だった時に受けた「忠君愛国」の教育が思い出されました。その後、第二次安倍内閣で特定秘密保護法が制定されると、今度は一九二五年に治安維持法ができてから、言論思想の自由が奪われていった過程を考えないわけにはいきません。そして、二〇一四年七月に集団的自衛権容認の閣議決定という形で、解釈改憲により海外での武力行使を認める方向が打ち出されたことで、私の危機感は頂点に達しました。
一九三一年、南満州鉄道の線路を関東軍が爆破し、これを中国兵がやったものだとでっち上げて、日本軍は中国で宣戦布告なき戦争を始めました。しだいに戦火は中国全土に広がり、やがて、後に一五年戦争ともいわれる長い戦争に突入しました。そして、最後には石油の輸出を禁止されたことに対し、真珠湾を攻撃して、米英との戦争になり、一九四五年の敗戦に至りました。私は一九三一年の満州事変時が八歳の小学生で、一九四五年の敗戦を二二歳の陸軍将校として迎えました。一五年にわたる長い戦争は、少年から青年期の前半までの私の人生と重なっているのです。
しかし、高まってくる危機感に伴う不安をそのまま表すだけでは、単なる「狼少年」の叫びに終わってしまいます。そうしたことを考えるうちに、私の中で危機感は私自身の過去への反省から、責任感へと変わってきました。それというのは、私は一九三一年以降の一五年戦争の中で左翼文学少年から愛国少年に変わり、さらに日本は欧米帝国主義からアジアを解放し、「東洋の永久平和」を確立するために中国で闘っているのだという説明を受け入れて、軍国青年になった過去があるからです。そして、一九四三年に徴兵されて軍隊に入ると、命令によって、いつでも誰でも、見境なしに人を殺すことができる人間を作るために、毎日大した理由もなく、殴られるという生活を経験しました。また将校になってからは、当時絶対的な権力を持っていた軍隊組織の腐敗を、身をもって体験することになりました。そのような組織の中で、自分の言葉を失い、考える能力もなくして、敗戦の時にはポツダム宣言について、部下に説明することさえ、できない状態だったのです。
敗戦の年の冬、焼け跡で寒さに震え、食べるものもない飢えた状態の中で、一体どうして、このような戦争を始めるようになったのかを知りたいと考えました。そして、何よりも私自身が軍国青年に育てられた過程を分析するため、戦前の「国民道徳」の教育内容に関する研究から始めました。丸山眞男教授の指導下で政治思想史の研究に従事し、やがて政治史・政治学の研究に及びました。その研究のすべては、“なぜ、あのように一五年もの長い間に及ぶ間違った戦争をするようになったのか”を知りたかったからです。こうして、ふりかえった時に、ここでまた日本が戦争を始めることを許してしまったら、何のために戦後七〇年近く研究をしてきたのかということになります。これが私の危機感を責任感に変えた背景にあった事情です。
こうした気持ちから、新聞への投書など、できるだけのことを体力が許す限り行うことを決意しました。新聞に投書したところ、軍隊を体験した老人でまだ発言しようとする人間がいることが分かったためでしょうか、新聞やテレビなど様々なところから取材の申し込みがありました。また、ツイッターやフェイスブックなどで取り上げて下さる人もいて、思いのほか、大きな反響を呼びました。しかし、新聞の場合には字数、テレビの場合には時間の制限があり、思うことが十分に伝わらないというもどかしさを感じることもありました。そんな時に、青灯社の辻一三さんから本を出さないかという申し入れがありました。幸いに、いつも私が話したことを分かりやすい文章にしてくれているライターの菊地原博さんの協力が得られることになりました。そこで、他からの取材は一切断って、この本で私の体験と反省したことをまとめようと決心しました。
この本の内容を考える時、いくつかの力点を思いつきました。最も大切にしたいのは、九〇歳を超えるまで長い間生きてきた人間として、個人の体験を中心におくことです。しかし個人の体験は特殊なものですから、そこからただちに一般化はできません。そこで戦後、研究者として蓄積してきた成果を利用し、個人の体験を広い社会的背景の中に位置づけようと考えました。
同じように、研究者としての成果を生かしたやり方として、比較の視点を取り入れることにしました。比較には空間的比較と時間的比較の両面があります。空間的比較とは、日本の社会を他国、例えばドイツと比べてみることです。一例を挙げれば、二〇一三年七月に麻生太郎副首相兼財務大臣が「ナチスの手口に学んだらいい」と発言しました。しかしナチスの場合は、一九三三年にヒトラーが政権を取り、それ以降は彼の決断ですべてが進むことになるという具合に、変化の時期が非常にはっきりしています。それに対して、日本の場合には、独裁者もいなかったので、一九三三年に相当する時期がなく、ずるずると軍国化が進んでいきました。そして最後は坂を転げ落ちるように、破局に至ったわけです。ずるずると変化していた時には、危機感を持つ人は必ずしも多くなかったというのが特徴だといえます。加えて、戦後の戦争責任に対する処理の仕方にも大きな違いがあります。
一方の時間的比較とは、戦前における戦争への過程と戦後、特に最近の軍事化に向かう動きとの間の共通点と違いを明らかにすることです。この視点を取り入れたのは、この本が過去をそれとして語る老人の回顧談におちいらないようにしたかったからです。回顧談ではなく、過去の経験から学んだことを生かして、違った条件の下にある今日の事態にどう対処していくのか。それを考える手助けをすることこそがこの本を出す意味であり、戦前の緩やかな変化から破局に至る時期を経験し、そしてその反省のために戦後の約七〇年を政治学研究者として過ごしてきた私がやらなければならないことだと考えました。
軍事化を推し進めた消極的要因としては、言論や思想の自由に対する規制や情報からの遮断があり、積極的要因としては、愛国心の教え込みがあります。これらについては、一九二五年の治安維持法制定から一九三一年以降の一五年戦争を経て敗戦に至る過程と、最近の情勢にきわめて似た点があることは、この文章の冒頭の危機感のところで述べた通りです。しかし、戦前の軍事化は天皇主権の明治憲法体制の下で進められた点で、国民主権・基本的人権の尊重・平和主義の三原則を持った、現在の日本国憲法体制下とは明らかに違いがあります。だからこそ、この憲法体制そのものを変えようとする動きが出ているわけで、それに反対する運動の側の動きにも注目する必要があるでしょう。
また同じ愛国心といっても、戦前は教育勅語や『国体の本義』で内容が明らかにされていました。それに対して、最近は、内容の基準が明らかでなく、学校での日の丸・君が代についての儀礼の強制が先行している面や排外主義的憎悪という感情に依存する傾向が強いことは大きな違いです。
ここまで研究者として長年積み上げてきたことをいかにして生かすかを考えた力点をあげました。しかし、研究者としておかしやすい間違いに対して警戒することも必要です。その間違いとは、研究者ができる限り明快な説明を行おうと考えた結果、ひとつの決定論、あるいは宿命論におちいる危険性です。
たとえば、後に詳しく説明しますが、私が一九七〇年に『日本の政治文化─同調と競争』という本を書いたとき、日本においては閉鎖的同調社会の中での忠誠競争が起こりやすいという政治文化が、戦前から戦後まで続いていると説明しました。しかし、なるべく明快に説明するために日本の政治文化の特異性を強調した結果、文化的決定論のようになってしまった面があったことを後に反省しました。
この本ではそのような落とし穴にはまらないように、たえずひとりの人間としてどのような価値をめざして行動するべきなのかを中心にすえました。そのことは現実を超越して、理想を追求するという意味ではありません。そうではなく、複雑な現実を見つめ、それについて多様な見方があることを考えに入れて、異なった意見との対話の中で思想を展開しながら、長期的に向かうべき方向を模索していくというやり方にしたいということです。
今述べたことは、この本を読者の皆さんにどのように読んでいただきたいかということと関係してきます。この本に、再び戦前にならないために何をなすべきかについての模範解答を求める方は、恐らく失望されるでしょう。もともと、ひとつの模範答案があるとは私自身考えていないからです。政治は何よりも主権者である人たちがどう行動するか(行動しないことも含めて)によって、時々刻々変化するものです。その中での行動のあり方は個々人が異なる条件のもとで生きている以上、多様であるのは当然です。したがって、私が読者の皆さんにお願いしたいのは、一人ひとりが置かれている条件を考えた上で、どのように行動するのかを決めるために考える素材として使ってほしいということです。とりわけ、世代や文化が違い、意見が異なる人と対話をするとき、それを有効に進めるために役立てていただきたいと思います。
間違って軍国青年になり、それを反省して歴史から教訓を学ぼうと努めてきた老人から後に続く人々への、小さな遺物のひとつとして、皆さんがこの本をどう使って下さるか。読者一人ひとりの行動こそが重要な意味を持つのだと思います。その気持ちを理解していただくため、私が中学生時代から今日まで座右の本としてきた内村鑑三『後世への最大遺物』の結びの部分を引用しておきます。

「我々は何をこの世に遺して逝こうか。金か。事業か。思想か。……何人にも遺し得る最大遺物──それは高尚なる生涯である。……アノ人はこの世に活きているあいだは真面目なる生涯を送った人であるといわれるだけのことを後世の人に遺したいと思います。」