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Seitosha Publishing

叢書 魂の脱植民地化 7
副題:西欧中世からの反骨精神

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著者:香田芳樹

ISBN:978-4-86228-092-3 C0016

定価2500円+税 276ページ

発売日:2017年3月20日

 

紹介

蒐集への執着から、抵抗者になりえなかったツヴァイクとベンヤミンの悲劇、
弾圧に対する反抗として清貧を貫いた、南仏カタリ派などの「異端」たち、
神秘主義者エックハルトが内包する多様性──近代的自由への希求と信仰の原点に返る保守性、
多くの矛盾を巧みに力に変えた宗教改革者ルターの戦略……。 
反骨精神の原点としての"異端児"たちの素朴な憤りや正義感、抵抗に触れ、
閉塞的な世の中で「否」を言う勇気を取り戻す指針を示す。

 

目次

第1章 チューリヒ 鏡の小路
第2章 蒐集家は国境を越えられない
第3章 「すべてを殺せ。神は神のものを知りたもう」──南仏カタリ派の悲劇
第4章 モンタイユー 土と生きる牧歌的異端
第5章 ペトルス・ヨハネス・オリヴィ 無一物の反抗者
第6章 「ペンにて汝を護らん」 ウィリアム・オッカム
第7章 マイスター・エックハルトと魔都アヴィニョン
第8章 ルター 三つの肖像画が描く矛盾の人
第9章 ヤーコプ・ベーメ、あるいは吹き飛ぶ閂
第10章 「それでも動いている」ガリレオ・ガリレイ

 

著者
香田 芳樹(こうだ・よしき)
慶應義塾大学文学部教授。文学博士(広島大学)、Ph.D.(スイス・フライブルク大学)。
著書『マイスター・エックハルト 生涯と著作』(創文社)、編著『〈新しい人間〉の設計図 ドイツ文学・哲学から読む』(青灯社)、
翻訳書『マクデブルクのメヒティルト 神性の流れる光』(創文社)等

 

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序(安冨 歩)

「清貧」という言葉は何を意味するのだろうか。たとえば『デジタル大辞泉』には、

私欲をすてて行いが正しいために、貧しく生活が質素であること。「清貧に甘んずる」

という説明が出ている。「甘んずる」という用例が示すように、清貧というのは積極的な状態ではなく、生き方の下手な人に結果的に発生してしまう、望ましくないけれど仕方がない事態であるかのように、私はイメージしていた。

しかし、本書を読むとその考えが間違いであることがはっきりする。清貧というのは、最も過激で積極的な生き方でもあるのだ。第三章で論じられるように、南仏カタリ派の人々があれほどの迫害を受けたのは、ひとえにその清貧のせいである。この世でもっとも豪勢な暮らしをしている聖職者にとって、清貧を生きる人々ほど不愉快な人種はいなかったからである。

考えてみれば、現代社会に最も深い影響を与えた政治家であるガンディーの最大の武器の一つは「不所有(アパリグラハ)」であった。彼は、所有という概念を離れることによって、巨大な政治力を形成し、逆に世界を「所有」してみせた。

言うまでもなく近代社会は、所有という概念をその根底に置いている。あるいは、少なくとも、そのつもりである。そしてその起源であるヨーロッパ社会の只中で、清貧という生き方を貫くことで、最も頑強な抵抗を示した人々の姿は、現代社会の直面する諸困難を理解し、乗り越える上で、決定的に重要である。所有をめぐる軋轢がありとあらゆる人間の首を真綿で絞めつつある現在、清貧は中世以上に批判的な力を持つ可能性がある。

そしてこのような伝統は、オリヴィやフランチェスコを経て、エックハルトという偉大な思想家を生み出す。彼は全てを「捨てよ」という。その範囲は徹底的であり、自分は神を信じている、という考えさえも捨てよという。そうして何もかもを捨て去り、極限的な「清貧」に達したとき、神はあなたの中に入ってくるのだ、という。私は、近代の思考の枠組みを用意したトマス・アクィナスの後継者であると同時に徹底した批判者でもあるエックハルトの思想こそは、我々が現代の難問を乗り越えるための、スピノザと並ぶ最も重要な導き手であると考えている。本書を読むことで、その思想の由来と根源とを認識することができる。

また、ヤーコプ・ベーメというデカルトと同時代の神秘思想家を知ることで、近代がまさに切り拓かれる時代の真の様相を垣間見ることができる。デカルトを導いたものが、ベーメと同じように、夢である、という逆説は、我々の思い込みに痛撃を与える。ベーメの神秘主義とデカルトの合理主義とは、相反するものではなく、同じコインの二つの側面かもしれないのである。

私は本叢書の第3巻『合理的な神秘主義』で、人類史の巨大な伏流水のようなもののスケッチを描いたつもりであるが、香田さんの本書は、合理主義の生まれるその足下に流れた神秘主義の脈々たる流れを、緻密な資料分析に基づいて描き出して下さっている。このような力強い作品が、叢書「魂の脱植民地化」に加わったことで、新しい学問分野を切り開こうとする我々の試みは大きく前進した、と私は感じている。このように幅広く深い内容を持つ本書であるが、香田さんの精妙で洒脱な文章の導きにより、読者はヨーロッパの時空を自由に飛び回る喜びを得ることもできるはずである。

(やすとみ・あゆむ 東京大学東洋文化研究所教授) 

はじめに

アメリカで黒人初のノーベル文学賞を受賞したトニ・モリスンの『ソロモンの歌』は面白いエピソードで始まる。ある黒人街に良心的な医者がいた。貧しい人々にも献身的に治療を施す彼に敬意を払って、町の人たちは医院のある通りを「ドクター・ストリート」と呼んでいた。もちろんこの通りには正式な名称があったが、だれもそれを知らなかったし、知る必要もなかった。しかしこれが市当局の気にさわった。ある日役人がやってきて、その通りに「ここはドクター・ストリートではありません(Here is NOT doctor street)」という大きな立て札を立てた。その日から人々はその通りを「ノット・ドクター・ストリート」と呼ぶようになった。

抵抗のかたちはさまざまである。レジスタンスと聞けば、文字通り命を賭けて不正と戦った闘士たちを思い浮かべるが、すべての貧しい被抑圧民に武器を取って街頭に出ることが可能なわけではない。抗しきれない暴力を前にしたとき人はもっとささやかな抵抗を試みる。それは皮肉やカリカチュア(戯画)やパロディーや風刺といった半ば諦めにも似た、しかし不屈の市民的抗議といった形を取る。健全な市民は加えられた暴力と同じ強さで暴力をふるうことが、愚の骨頂であることを知っている。戦争でもテロでもなく、裁判でもない、したたかな言葉による反骨精神は民主主義の最も洗練された表現なのである。それは文字文化を通して得られる貴重な能力だ。

ヨーロッパでは中世後期に市民の識字率が高まり、彼らが文学という表現手段を手にいれると、それはまず「抵抗の文学」となった。彼らが抵抗できたのは、自由になったからである。市民(citizen/ Bürger/ bourgoise)とは「都市に住む者」を意味するが、それは空間的に限定された住人ではなく、経済的にも政治的にも思想的にも、「横断路」に位置する流通の要所に住む、移動自由な人々であった。これに対して都市の外に住む農民は、「体僕」(独語Leibeigene)と呼ばれ、文字通り肉体を人質に取られていた小作人だった。だが彼らにも転機が訪れる。一二世紀以降、都市が成長し、未開の原野に人の手が入り始めると、彼らは新たな処女地の開墾を目指して土地を捨てた。離民たちによって封建社会は衰退し、新たな社会経済システムが都市を中心に発展することになる。

ドイツ民謡に、「考えるのは自由Gedanken sind frei」という歌がある。「誰もそれを知らないし、どんな猟師も撃てない」と歌うこの民謡のルーツは一三世紀の抵抗歌だ。

 

diu bant mac nieman vinden,                 誰も鎖を見つけられない

diu mîne gedanke binden.           おいらの考えを縛る鎖を。

man vâhet wîp unde man,            女も男も捕まえられるが、

gedanke niemen gevâhen kann.                考えは捕まえられない。

 

都市で体が自由になった市民は心にも自由を求めた。考えているだけでは罪にはならないと歌う彼らは、やがてもっと強力な武器を手にする。文学の誕生である。中世で最も成功した文学作品はおそらく、シュトラースブルク生まれの法律家セバスティアン・ ブラント(一四五七-一五二一)の書いた『阿呆船』(一四九四年)だろう。「通りも路地もどこもかしこも阿呆だらけ。阿呆の数には終わりなし」と歌うこの風刺詩は、この世にあふれる阿呆者を一人一人数え上げ揶揄していく。この「阿呆の大カタログ」ともいえる著作は出版当初から好評を博し、当時の大ベストセラーとなった。一七〇〇年頃まで続いたこの人気の秘密は、これがただの滑稽本だったからではない。初期人文主義の風刺文学の伝統に位置する本書は、何より「啓蒙書」であり、「人の魂に癒しをもたらす」著作だったのである。風刺は市民の啓蒙的役割を担う重要な文化行為だった。

この風刺の伝統は、現在のヨーロッパにも脈々と受け継がれている。テレビをつければ現政権を揶揄するコメディーはいつでも見られるし、新聞には体制批判のブラックジョークがあふれている。そしてそれらを理解できることが知的水準の高さを示してもいる。これは、「報道の公正さ」を楯に、政府に批判的な番組をつくる報道機関を恫喝し、黙らせようとする日本の政権与党とは大きな違いだ。本当の民主主義は、反抗者のささやかなユーモアを解する。それは居丈高に肩をいからせて毒づく、みっともないわが身を反省する余裕をもっている。それに対して、この国の目に角たてた怒気は何なのか。意に沿わないものは何でもかんでも黙らせようとする強権政治が、多数決の追い風に乗って吹き荒れる現在、小さな反骨者たちの生き様を知ることは大切だ。なぜなら彼らとて生来の跳ねっ返りだったわけではなく、ちょっとした運命のいたずら、ボタンの掛け違えからマイノリティーに転落し、しかしその境遇にこそ真の自分がいることに気づいた人たちだからだ。その気づきが彼らの名を歴史に刻んだ。

迫害の陥穽がどこに口を開けているかわからない時代にわたしたちは生きている。いじめやハラスメントやヘイトスピーチによって運悪くそこに落ちてしまっても、それは多くの魂深き人びとのたどった道であり、怖じ気づく必要はまったくないことを知っていただくことが、わたしの本書執筆の動機である。マイノリティーは意外と楽しい。彼らは考える人であり、考える限り彼らは自由で、だれにも捕まることはなかった。夢のような思考の翼を得て、彼らは大空を自由に羽ばたき、迫害者のはるか上を飛んだのである。

本書で紹介する反骨者たちの多くが中世に生きた人たちであるのは、わたしがヨーロッパ中世思想を専門とするからだけではない。何よりいまのわたしたちからは時代も地理もかけ離れたところに生きた人びとの、素朴な憤りや正義感や抵抗は、反骨の原点ともいえるわかりやすい形をとっているからだ。わたしたちの生きる東洋にも「忍辱正語(にん にく しょう ご)」という教えがある。辱めを堪え忍び、正直に徹することを命じるこの精神は、西のアウトサイダーたちの生き方に通じるものがある。巧みなシステムに取り込まれ、暴力によって搾取されているという自覚さえも失ったわたしたちには、いま反骨の原点に立ち戻って「否」と言う勇気を取り戻すことが求められている。そのために本書が少し背中をおしてくれれば幸いである。だが物語はまずはわたしたちの身近から始めよう。舞台は現代のチューリヒである。

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