ユーラシア漂泊
さすらいのバックパッカー68歳の自由と虚無、そして再会と別れ。
極北ラップランドにおける厳冬のトナカイ狩りや北欧ジプシーとの暮らし、それらの体験記で名をはせたバックパッカー、22年ぶりの書き下ろし。
ほとんど一般でない彼の生き様のディテールは、しかし、わたしたちの生活シーンのなかに共有化できると、そう思う時、まだいけるかもって、湧いてくるものをもたらしてくれる。まさに、「生き様」という言葉は、この著者、小野寺誠ためにあるのではないか、とすら思わせる秀作であり、力作であり、人生の書である。
(本文より)イコン画がたくさんある。これらの絵には、画家の署名がない。描くことが、祈りだ。わたしの旅も、何かへの祈りかもしれないとふと思う。旅が困難であればあるほど、この身が浄められるような気分になることがある。自分の生きてきた足跡があまりにろくでもないので、肉体的な辛さを罪ほろぼしのように感じるのかもしれない。身勝手な自由と解放の感覚、それも悪くない。しかし神をもたないわたしの場合、祈りの旅の先に見えてくるのは死しかない。そしてだれとも分からない無記名の墓標の男の死も、けっして悪いものじゃない。
<読者からのコメント>小野寺誠の『ユーラシア漂泊』を読んだ。これは叙事詩なのか?それとも叙情詩なのか?不思議な読後感である。
中国、キルギス、イラン、トルコ、ポーランド、フィンランドを経て、ロシアを訪れてシベリア鉄道で帰ってきた旅の記録。 「老人にとって 冒険は そして 旅は みずからの 内側にある」 という彼が歩いた道程は、わたしの心象風景のようであり、わたしは彼とともに長い旅から帰還した気分になった。
目次
出発の前に
Ⅰ 日本、韓国、中国
桜の花の別れ―東京・善福寺池公園 幼稚園の高速バス―新宿から大阪港へ
入国管理官の仕打ち―韓国、釜山から仁川へ 黄河本流の思い出―中国、
天津から北京へ 疲れる都市―ウルムチ
Ⅱ 中央アジア草原、国境の賑わい―カザフスタン ロシア人の顔を持つ町―アルマトィ
空がさらに広がった―キルギス 日本人教師と妻トルクンさん―ビシュケク
独特の静けさ、冷澄さ―イシク湖 標高三一八四メートルの峠を越える―オシュ
ポケットから瓢箪を―タジキスタン 金歯は笑う、日本人は大歓迎―フジャンド
スリリングな悪路―ドゥシャンベ 高級ホテルに無料で泊まる―レーガル
タクシー運転手との言い争い―ウズベキスタン 日本人バックパッカーと同宿-
タシュケント・サマルカンド・ブハラ 列車内の酒盛り―トルクメニスタン
Ⅲ イラン、コーカサス諸国
最悪の体調―イラン・マシュハド 喧騒の街―テヘラン
乗っているバスが消えた―アゼルバイジャン おおおお、カスピ海―バクー
列車内のカンフーマン―グルジア 美しい歴史の街いま―トビリシ
Ⅳ トルコ、中欧
伝説娼婦の館―トルコ・ホパ ロシア領事館通い―イスタンブール
私の旅も、祈りかもしれない―ブルガリア・ソフィア 思いがけない一夜―
ボスニア&ヘルツェゴビナ・サラエボ ヨーロッパがそこにあった―オーストリア・ウィ
ーン あの頃、女性たちは優雅で美しく見えた―ポーランド・ワルシャワ
バルト海の宝石―ラトヴィア・リガ 琥珀の町―エストニア・タリン
Ⅴ フィンランド
息子、孫との再会―ヘルシンキ かつて家族と暮らした町―イーサルミ
M子との旅―再びタリン・リガ 息子一家との別れ―再び、ヘルシンキ
Ⅵ ロシア、シベリア鉄道
十五年間の別れと再会―モスクワ ロシア人も変わってしまった―シベリア鉄道 ホーメイの歌声―トゥバ共和国・キジル 列車内の宴会―ウラジオストク
日本到着―富山県伏木港
あとがき
著作者について
小野寺誠
小野寺誠(おのでら・まこと)
1939年3月東京・杉並生まれ。1967〜76年 北極圏ラップランドを放浪し、ラップ族と行動をともにする。1975年 ラップランドをテーマに第1回トリエンナーレ国際写真展第1位受賞(スイス)。1977〜80年 ジプシー民族社会で暮らす。1981〜85年 フィンランド民族音楽のペリマンニ楽師として活動。 著書に『ポエムS65』(詩集)、『求む天国』(浪曼)、『極北の青い闇から』(冒険ものブックガイドとして本多勝一氏推奨)、『ジプシー生活誌』(国際ジプシー学会で木内信敬教授により公表)(以上、NHK出版)、『イサ・パッパと2匹の小悪魔』(NHK「私の本棚」12回連続放送、文化出版局)、『白夜の国のヴァイオリン弾き』(新潮社、講談社文庫)、『あの夏、フィンランドで』(NHK出版)『辺境へ、世界の果てへ』(青弓社)