「二重言語国家・日本」の歴史

著者 石川九楊

吉本隆明さん

石川九楊の書史論は、わたしには想像していた書論の次元を遥かに超えるものであった。筆圧の分布、筆速の波、右上がりの心理など、およそ優れた書家の実作の経験と、それにたいするミッシェル・フーコーのいわゆる「主体性の配慮」なしには解析が不可能なところまで「三筆」や「三蹟」などの書字を論じながら日本の書史が分析されていた。自己の書字にたいする経験的な省察と心くばりを深めていなければ、ここまで他者の書の深層まで到達させることはできない。

わたしは日本で文芸批評以外にはできていないという偏見をもっていたが、石川九楊の書の批評と書史の記述は、この偏見を見事に破ってくれた。何よりもそのことは、わたしには驚嘆すべき出来事であった。

書評

「朝廷から武士への支配交代という従来の歴史では、さらりとしか語られてこなかった人間たちが、むくりと立ち上がってくる本。本書では、宋から亡命した、あるいは留学した禅僧集団が、当時の国際語漢語の使い手として、法律・外交・教育・日中貿易を担っていたという。単なる文化集団ではなかったのだ」

──朝日新聞

「ひさしぶりに凄い本に出合った。読みながら始終、動悸がしていた。珍しい体験である。……この壮大な二重言語国家の仮説は、具体的な書の分析を通しての実証的なものであり、説得力は抜群である」

──芹沢俊介、読売ウイークリー

「……漢と和の言語の二重性という視点に立って、著者はナショナリズムの起源の底が存外浅いことを指摘する。本居宣長は、文字としての「やまとことば」の起源を漢字到来以前と考えようとした。だがこの考え方は無理がある。唯一の日本文字である平仮名は漢字を基礎に万葉仮名を経て生まれたのであるから、著者はそう一蹴する。……」

──芹沢俊介、東京新聞

「……目のウロコはどっと落ちる。“書は人なり”が実感できる。一点一画が書いた人の中身を語ってしまう。おそろしいことでもある」

──藤森照信、京都新聞他多数

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